本名:茂山 正邦(しげやま まさくに)
1972年7月7日生まれ
五世千作の長男
4歳の時に『以呂波』のシテにて初舞台。その後『三番三』『釣狐』『花子』『狸腹鼓』を披く。過去には『花形狂言会』『狂言小劇場』『心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会=TOPPA!』また若手能楽師による能楽グループ『心味の会』を主催し、狂言のみならず能楽のファン開拓にも力を注ぐ。現在は『茂山狂言会』『Cutting Edge KYOGEN』、弟茂との兄弟会『傅之会』、落語家桂よね吉との二人会『笑えない会』を主催し、幅広い年代層へ狂言の魅力を伝える。また上海京劇院・厳慶谷や川劇変面王・姜鵬とのコラボ公演など、他ジャンルとの共演も精力的に行う。
平成28年 十四世茂山千五郎を襲名
文楽研修講師
嵯峨野高校狂言部指導
趣味:ゴルフ・読書・半身浴
好きな物:鰤、ウィスキー、ワイン
好きな言葉:冬きたりなば春遠からじ 吾唯足知
好きな狂言:『靭猿』『空腕』『通圓』『釣狐』『花子』
<千五郎家楽屋話>(聞き手・西村彰朗)
茂山千五郎家十四世当主。襲名披露公演では『三番三』と『靭猿』に続き、極重習の『釣狐』『花子』『狸腹鼓』の三曲全部を1カ月で演じる “前人未到”のプログラムに挑戦する。
歴代千五郎と比べて―「祖父は天真爛漫でも結構、計算ずくの舞台。すべてわしについて来いというタイプ。父は自由奔放。自分は好きなようにやる。後は知らんと。ぼくですか?性格的に両方とも反面教師ですわ」。
もちろん当主としてふたりの芸から継承しておきたいものがある。「共通して舞ものがうまいこと。型のすばらしさですね。とくに三番三の腰の入り方、胸の張り方など、全盛期のころのふたりは別格でしたから」
すでに父から「役付」の大役を引き継ぎ、弟茂とふたりで「傳之会」も立ち上げた。「大蔵流五家狂言会」の開催にも「互いに刺激になる」と意欲を燃やす。体重90キロ。近年、富みに貫録が増す。活動は地道でも緻密で計画的。細かなところへの気配りも。それが千五郎家全体の安心感、信頼感につながる。
「皆、個性豊かです。活動も多彩。いろんな方向に広がっている。よその家にない強みでしょう。扇のかなめとしてぼくら兄弟は古典を中心に力を入れていきます」。
<落語作家・小佐田定雄評>
愛称は「まーくん」。
まだまだ若いのに、その芸にも体型にもどっしりとした安定感が漂っています。未来の当主というDNAのなせる業かも知れません。そして、その安定した世界を一瞬にしてひっくり返してしまいかねない、熱いマグマを内包しているのです。
小学生のころ、上方落語にのめりこみ桂米朝に入門しようと考えた時期があるそうで、もし、正邦がその夢を実現していたら、米朝門下にはとてつもなく優秀でスケールの大きい若手落語家が育っていたことでしょう。彼が狂言の世界を選んだことは、上方落語にとっては大きな損失ですが、能楽界にとっては大きな幸せとなりました。
双子の息子さんたちの父親として、未来の狂言師を育てるという責任も両肩にのってきました。
1972年 | 7月7日十三世千五郎の長男として生まれる |
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1976年 | 『以呂波』のシテで初舞台 |
1986年 | 日本能楽養成会に入会 同年 『千歳』を披く |
1989年 | 『三番三』を披く |
1993年 | 花形狂言会入会 花形狂言会にて大曲『釣狐』を披く |
1994年 | アヴィニョン 国際演劇祭参加 |
1995年 | 東京博品館劇場にて狂言小劇場第1回公演 若手能楽師グループ『心味の会』結成 |
1997年 | ライブハウスにて狂言会を催す |
1998年 | 平成10年度 大阪市 咲くやこの花賞 受賞 |
2004年 | 『花子』を披く |
2005年 | 平成17年度文化庁芸術祭新人賞受賞 |
2008年 | 平成20年度京都府文化賞奨励賞受賞 |
2010年 | 『狸腹鼓』を披く | 2016年 | 十四世 茂山 千五郎 襲名 |
2017年 | 日本能楽会会員(重要無形文化財保持者総合認定)となる |
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