本名:茂山 晃
1952年6月12日生まれ
二世千之丞の長男
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3歳の時 狂言「以呂波」のシテにて初舞台以来、「三番三」「釣狐」「花子」を披く。
1976年、花形狂言会を発足。従兄弟の正義(現 千作)、眞吾(現 七五三)と主宰する。
古典狂言のみならず、小松左京作SF狂言「狐と宇宙人」他、『木竜うるし』(1978)『死神』(1981)等の新作狂言や千年振りの復曲「袈裟求」など演じ、狂言の大衆化に力を注いできた。
多才な演劇人である父・千之丞の影響を受けテレビ、ラジオ、新劇、実験劇に参加。またアメリカ人ジョナ・サルズと共に「NOHO(能法)劇団」を主宰。ベケット・イエイツの不条理演劇、英語狂言など海外公演を行う。
千五郎・七五三と共に、桂米朝一門を巻込み『お米とお豆腐』を立ち上げるなど、新たな試みに挑戦中。
その他演出家としても関西歌劇団・関西二期会等のオペラ、新劇、能法劇団、新作狂言、パフォーマンス、ファッションショーの企画・構成・演出など手掛け「舞台マルチ人間」を目指している。
著書に「京都の罠」(KKベストセラーズ)がある。
趣味:読書
好きな物:お酒
好きな言葉:はじめの一歩
好きな狂言:『因幡堂』『地蔵舞』『梟』『千鳥』『茫々頭』
<千五郎家楽屋話>(聞き手・西村彰朗)
狂言は子ども時分、祖父の三世千作に習い、後半は父千之丞の教えを受けた。二人を比較して「よくも悪くも祖父はええとこのぼんぼん。親父の千之丞はどこか挑戦的でした。一生、ひねくれを貫いた生きざまはたぶん戦争体験からきたものでしょうが…」。
では、自身は―。「ものの考え方なんか、親父に似てるかな。底辺から世の中をにらみ上げているのが芸人のありうべき姿。今は何か見下ろすような風潮が見えて、好かん」
狂言の世界についても過激な発言が飛び出す。「伯父(四世千作)と親父の存在があまりに大きかった。ぼくらは二人をなぞらえながら、やってきたけど、子どもたちの世代はある意味、生き残り戦争です」
そのなかで千五郎家はどう進むか。「ここには自由がある。一人として同じタイプの人間がいない。だから、いろんな試みが可能だし、新しい切り口も見つかるのでは」と。
「客席の立場から見て、一度古典を壊し、再構築していくことも、外様であるぼくの役割ではないかと思っています」
<落語作家・小佐田定雄評>
愛称は「あーちゃん」。
同世代の千作さん、七五三さんとともに一門の中間管理職として、雄雄しく戦っていて、落語と同じ舞台で競演する「落言」をはじめとして、ベケットの戯曲を積極的に上演したり、いろいろと多方面でも活躍中で、「なんだかアヤシイな」と思われる企画には必ずこの人が噛んでいるのです。
よーくご覧いただくと、丸の中に「あ」の字を書いた紋の付いた黒紋付を着ていることがあります。伝統的な「紋」を使って自己主張をしているあたり、あーちゃんの面目躍如たるところなのです。
若いころはスレンダーで、女性ファンの魂を奪っていたと申します。「そのころは、装束を着ける時、おなかの部分にタオルを入れて帯を締めやすくしたもんです」とはご本人の証言ですが、近年は「修行」の甲斐あって、自前のおなかで間に合うようになりました。
1952年 | 6月12日 茂山千之丞の長男として生まれる |
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1956年 | 「以呂波」のシテで初舞台 |
1975年 | 「三番三」を披く 同年、大曲「釣狐」を披く |
1976年 | 花形狂言会を発足 |
1981年 | 米人ジョナ・サルズと共に「能法劇団」を主宰 |
1982年 | 「能法劇団」イギリス エジンバラ国際演劇祭・フリンジ公演参加 |
1984年 | 「能法劇団」アメリカツアー |
1985年 | 「能法劇団」アメリカツアー |
1986年 | 「能法劇団」アメリカツアー |
1988年 | 「能法劇団」香港公演 |
1992年 | 京都市芸術新人賞受賞 |
1994年 | 「花子」を披く |
1997年 | 「京都の罠」(KKベストセラー)出版 |
2001年 | お米とお豆腐を発足 |
2013年 | 平成24年度 京都府文化賞功労賞受賞 |