1975年9月9日生まれ
五世千作の次男
4歳の時に 小舞『柳の下』にて初舞台。その後『千歳』『三番三』『釣狐』を披く。
1994年から従兄弟の茂山宗彦・逸平らと共に「花形狂言少年隊」を結成。同年の旗揚げ公演以来、毎年「花形狂言少年隊」としての自主公演をおこなった。
舞台で活躍している狂言師が同年代ということで、若年層の観客が狂言を身近に感じ、各地の狂言会にも若者の観客が目に見えて多くなったという点において、「花形狂言少年隊」の功績は大きい。また、東京において「狂言小劇場」を兄の正邦(現 千五郎)、従兄弟の茂山宗彦・逸平らと1995年から2004年まで続けてきた。
2000年6月より2005年まで千三郎、正邦(現 千五郎)、宗彦、逸平、童司と共に「心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会=通称TOPPA!」を主催。
2006年より「HANAGATA」を正邦(現 千五郎)、宗彦、逸平、童司と共に再開。企画製作そして出演までを自分たちでおこなう「HANAGATA」を通し、狂言の魅力を存分に味わっていただき、自らの芸を磨くことを目的とした。2020年からはHANAGATA改め「Cutting Edge KYOGEN」として活動している。
2015年より兄の正邦(現 千五郎)と共に「傅之会」を発足。自らの伎芸の研鑽だけではなく、次世代の育成にも力を注ぐ。
体格には恵まれないが、逆にそれを活かした女性役に定評が有る。
趣味:FCバルセロナ
好きな物:こんにゃく
好きな言葉:あそび心
好きな狂言:好き嫌いは有りませんが、得手不得手はあります。
<千五郎家楽屋話>(聞き手・西村彰朗)
「ぼくは千五郎家の保険と思っている」。たしか「傅之会」初回の記者発表の場だった。うまい表現だなと感心した。
一般に保険はあって安心、使わずにすめば、それに超したことはないが、こちらの“保険”は兄千五郎を助けて、将来に“利息”が期待できるような存分の働きを見せる。
千五郎家のホームページ、蔵に収めた装束や小道具類の管理、皆この人の仕事だ。裏方いっさいを引き受けた上に、兄とふたりで始めた「傅之会」ではシテを交互に勤める。兄弟の4人の子どもたちの舞台も用意して、古典狂言の世界を追究する。
「まず10年は続け、この間にぼくらのファンを増やす」。テレビなど外での活動が多い茂山家の同世代を意識しての発言。「兄貴の知名度ももっと高めねば」と秘策を練る。
これまでの女役に加え、今後は立役も増えてくる。「祖父千作と叔父千之丞兄弟の域まで昇りつめるのが究極の目標」ときっぱり。
<落語作家・小佐田定雄評>
「茂山家の玉三郎」と呼ばれるほど、若い美女の役はぴったり。ビナンという白い布で頭を包むと、一瞬にして狂言界のミス・ユニバースに変身するから不思議です。とても二児の父には見えません。
文科系揃いの茂山家では唯一の理数系の頭脳の持ち主で、ホームページの管理から蛍光灯の取替えまで、あらゆる科学分野を担当していると聞きました。そして、狂言で使用する面や装束の管理、新作で使う怪しげな小道具やカブリ物の製作も一手に引き受けている有能な職人さんでもあります。
本人も「狂言の技術をつきつめて習得していく『狂言職人』になりたい」と言っている根っからのエンジニアです。普段はクールでもの静かな雰囲気の持ち主ですが、いったんお酒が入ると熱血漢に変身して、饒舌に熱く語り始める一面も持ちあわせており、この男、ただの技術者ではないのです。
1975年 | 9月9日十三世千五郎の次男として生まれる |
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1979年 | 小舞『柳の下』で初舞台 |
1980年 | 映画『百地三太夫』に出演 |
1989年 | 京都能楽養成会に入会 |
1993年 | 『千歳』を披く |
1994年 | 『三番三』を披く 「花形狂言少年隊」を茂山宗彦・茂山逸平と結成 |
1995年 | 東京博品館劇場にて「狂言小劇場」第1回公演 |
1996年 | 東ヨーロッパ公演参加 |
1998年 | 『釣狐』披く |
2009年 | 『花子』を披く |
2012年 | 平成23年度京都府文化賞奨励賞受賞 |
2017年 | 日本能楽会会員(重要無形文化財保持者総合認定)となる |