本名:丸石 康
1949年11月30日生まれ
二世千之丞に師事
茂山 千之丞と『運命の出会い』(自称)があり入門。
NOHO劇団公演を含め、海外公演にも多数参加。
1984年に、同門 網谷 正美・松本 薫らと共に「三笑会」を結成。27年間、年5回の「狂言三笑会」(発足当時は「狂言勉強会)開催し、2011年のファイナル公演まで131回数を重ねた。
また1996年アメリカに演劇レクチャー講師として招聘される。
落語家を目指していた時代もあり、師匠千之丞の影響もあってか、観客を楽しませる解説・司会は大変好評を得ている。「山椒は小粒でなんとやら・・・」と小柄であることを生かした?軽妙で柔軟な舞台は、初めて狂言を見る人の緊張を和らげ、いつの間にか舞台に引き込む魅力をもっている。
◎「狂言三笑会」主宰
◎能楽協会会員
◎日本能楽会会員
◎重要無形文化財保持者総合認定
◎京都能楽会会員
趣味:落語鑑賞・パチンコ
好きな物:ポテトサラダ・ハンバーグ
嫌いな物:セロリ・パイナップル
尊敬する人:ニ世茂山千之丞
好きな狂言:『千鳥』・『魚説経』・『縄綯』・『蝸牛』・『武悪』
<千五郎家楽屋話>(聞き手・西村彰朗)
「三笑会」で思い出深いのはやはり初回のこと。「会場の狭い和室にお客さんがいっぱい。息づかいまで聞こえてくる。声を抑えぎみに出したら、見物に来ていた師匠の千之丞からもっと大きく、と叱られて…」。
舞台に出て、お客の心をつかむ。ここで体験した客席とのキャッチボールから学んだことは多いという。「狂言も芝居なんだよ」といった師の言葉も忘れられない。その薫陶を受けて舞台では自分なりに考え工夫した遊びのなかに人を笑わせるコツを会得した。
名の通りぽっちゃりと丸顔。風貌からして喜劇人である。「三笑会」が終止符を打った後の会場に「五笑会」の開催を提案したのもこの人と聞く。師匠の孫の童司をはじめ若い人たちのよき相談相手でもある。
<落語作家・小佐田定雄評>
ニックネームは「マルさん」。念のために申し添えておきますが、決して頭の型からきた愛称ではありません。名前からきた呼び名です。若手たちの厳しい指南番であり優しい相談役であり頼りになる兄貴分です。
役者としても新作に古典に、千作・千之丞から若手までの相手役をみごとにこなすオールマイティのお人です。
広島の生まれで上方落語の魅力にとりつかれ、米朝師の弟子になるつもりだったのが、千之丞さんの狂言を見て方向転換。でも、落語を聴いた実績は、狂言解説の軽妙な話術に生かされているので、無駄にはなっていないのです。
1949年 | 11月30日生まれ |
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1973年 | 広島商科大学 卒業(現 広島修道大学) |
1974年 | 茂山千之丞に入門 かなもじ会『腹不立』アドで初舞台 |
1981年 | 能法(NOHO)劇団に参加 |
1982年 | NOHO劇団イギリス エジンバラ国際演劇祭・フリンジ公演参加 |
1984年 | NOHO劇団 アメリカツアー参加 (1985年、1986年もアメリカツアー参加) 同門 網谷正美・松本薫 と共に「三笑会」を結成。 京都府立文化芸術会館主催「狂言勉強会(後の 狂言三笑会)」を2011年まで年5回公演 |
1988年 | NOHO劇団 香港公演参加 |
1990年 | 茂山狂言団の一員として 東南アジア・韓国公演参加 『三番三』披く |
1992年 | 『釣狐』披く |
1994年 | 『花子』披く アヴィニョン 国際演劇祭参加 ギリシャ 国際演劇祭参加 |
1996年 | スイス・ウクライナ 公演参加(キエフ演劇祭) |
2004年 | 三笑会 第100回記念公演 |
2006年 | 平成17年度京都府文化賞功労賞受賞 |
2016年 | 「狂言三笑会ー三人あわせて200歳」5夜連続公演を催す |