お豆腐狂言とは

私達、茂山千五郎家では「お豆腐のような狂言師」という言葉が語り伝えられています。その言葉は、十世正重(二世千作)への悪口に由来しております。

正重は、京都の方々に気軽に狂言を楽しんで頂こうと、地蔵盆・結婚式・お祝いの会など色々なところに出向いては、余興に狂言を上演しておりました。
室町時代に“武家式楽”と位置づけられて以降、江戸時代の終わりまで「能楽(能と狂言)」は武士や公家など特別階級の文化でありました。明治時代でもまだ、能舞台以外での上演はいけない、他のジャンルの芸能と共演してはいけないなど、保守的な考え方が根強かったころ、タブーを犯して活動する正重に対して、「あいつはどこにでも気軽に出て行く、お豆腐のような奴だ」と言われました。
現在、京都のお豆腐といえばブランド品ですが、当時は食卓にのることが一番多いおかずが「豆腐」でした。
「茂山の狂言は我々のやっている特別な芸能文化ではなく、どこの家の食卓にも上がる豆腐のような安い奴らや」という意味の悪口を言われたのでした。

しかし二世千作は「お豆腐で結構。それ自体高価でも上等でもないが、味つけによって高級な味にもなれば、庶民の味にもなる。お豆腐のようにどんな所でも喜んでいただける狂言を演じればよい。より美味しいお豆腐になることに努力すればよい」と、その悪口を逆手にとりました。
それ以来、私達は家訓としてこれを語り伝えております。
その昔、京都では「おかずに困ったら、豆腐にでもしとこか。」と言いました。同じように「余興に困ったら、茂山の狂言にでもしとこか」と、気軽に呼ばれることをむしろ私達は喜びたいと思っています。

いつの世も、どなたからも広く愛される、飽きのこない、そして味わい深い。そんな「お豆腐狂言」を目指しております。
10thmasashige(十世・正重)