1947年3月15日生まれ
四世千作、木村正雄に師事
1965年、京都大学入学と同時に、同大学狂言研究会に入会して木村正雄に師事。
1971年、能楽養成会に入会し四世千作に師事。それとともに同志社高等学校に勤務。以来41年にわたり二足のわらじを履続け、2012年同志社を退職。
1984年に、同門 丸石やすし・松本薫らと共に「三笑会」を結成。27年間、年5回の「狂言三笑会」(発足当時は「狂言勉強会)開催し、2011年のファイナル公演まで131回数を重ねた。
現在では各地での公演活動、また京都学生狂言研究会をはじめ、京都・大津・鹿児島に稽古場を持ち、狂言の普及に努めている。
新作狂言に『蛍が宿』『椎茸典座』『芋地蔵』『西郷ドンと侏儒ドンと』『鈴鹿の子天狗』など多数。
また、他ジャンルとのコラボにも意欲的で、2008年のジャズとのコラボ作品『星巡りの夜』をかわきりにオペラとの音楽劇『夕鶴の世界』『賢治の幻想』など、また2011年以降、日舞とのコラボ『さくらに乗って』『月とジメサア』などを創作・上演してきた。
大津市在住。
◎能楽協会会員
◎日本能楽会会員
◎重要無形文化財保持者総合認定
◎京都能楽会会員
趣味:酒・歌・煙草・また・・・
好きな物:「閑居して不善を為す」こと
嫌いな物:意に染まぬ束縛
尊敬する人:四世茂山千作をはじめとする、存在感のあるすべての役者
好きな狂言:『武悪』・『文蔵』・『蝸牛』・『宗論』・『千鳥』
<千五郎家楽屋話>(聞き手・西村彰朗)
身長180センチ。千五郎家のなかで一番背が高い。「最近は少し縮んだ」そうだが、温厚な風貌といい、どこか大店の大番頭を思わせるような雰囲気さえ漂わせる。
千五郎家で同門の丸石やすし、松本薫と3人で「狂言三笑会」を主宰。26年間に131回の公演を重ね、ふだんの舞台では演じたことのないシテ役も数多く勤めた。
「ぼくらの仕事はアド役ですが、シテの経験が本公演でどれほど役に立ったことか」と振り返る。長年、二足のわらじをはいていた高校教師の仕事も定年でぶじ修了。
「それぞれの個性を大事にした有機的結合体であるのが茂山狂言会の特長」といい、「今後とも新千五郎をはじめ若い人たちを盛り立てていきたい」と話している。
<落語作家・小佐田定雄評>
愛称は「アミさん」。
今から四十年以上前、『ライフルマン』というテレビ西部劇がありました。その主題歌の一節に「いかつい顔にやさしい目」という歌詞があり、「網谷さんにぴったりのフレーズやなあ」と思ったことがありました。
おっとり、のんびりとした芸風は茂山一門の中でも貴重なものです。丸石、松本とともに二十数年前から京都でスタートした「三笑会」という狂言勉強会も百十回を超えました。
高校の先生との二足の草鞋も、最近は多忙を極めているようです。
1947年 | 京都市に生まれる |
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1965年 | 『しびり』のアド(八坂神社奉納狂言会)で初舞台 |
1971年 | 能楽養成会に入会して十二世茂山千五郎(四世千作)に師事 |
1978年 | 『三番三』を披く(多賀神社奉納) |
1979年 | 能楽養成会を卒業 | 1980年 | アジア芸術祭に参加し、香港で公演 同年『筵八幡』のアド(「翔の会」)で大阪文化祭賞奨励賞を受賞 |
1984年 | 同門 丸石やすし・松本薫と共に「三笑会」を結成。 京都府文化芸術会館主催 「狂言勉強会(後の 狂言三笑会)」を2011年まで年5回公演。 |
1986年 | 『釣狐』披く(「狂言勉強会」別会) |
1995年 | 『花子』披く(「狂言 三笑会」別会) |
1998年 | シカゴ公演に参加 |
1999年 | 道元禅師750回大遠忌に向け、永平寺の依頼をうけて、新作狂言『椎茸典座』を創作。 永平寺での初演を皮切りに、2001年まで全国を巡演する。 |
2006年 | 平成17年度京都府文化賞功労賞受賞 |
2007年 | 「なにわ万葉賞」を受賞 |
2008年 | 『星巡りの夜』『夕鶴の世界』を創作・上演 |
2009年 | 音楽劇『賢治の幻想』を創作・上演 |
2011年 | 九州新幹線鹿児島開通を記念して『さくらに乗って』を創作・上演 「狂言三笑会」131回でファイナル公演 |
2013年 | 日舞とのコラボ作品『月とジメサア』を創作・上演 |
2016年 | 狂言風オペラ『コシ・ファン・トゥッテ』に参加 「狂言三笑会ー三人あわせて200歳」5夜連続公演を催す |